パチンと薪の爆ぜる音で目が覚めた。
ぼんやり開けた視界の中で、野営の焚き火がユラユラと風に揺れている。その上から降り注ぐ雪は、炎の中に飛び込み一瞬で空へ帰った。
あぁ、僕は寝ていたのか。
戦闘の耐えない前線の陣営だと言うのに、無防備にも寝てしまっていたのか。
一度大きく頭を振り、ふと白い溜息を吐き出す。
周りには数名の見張りが古びたスコープを片手に、吹雪く暗闇の中を警戒心剥き出しで睨み付けている。だがその横顔には疲労が見て取れ、いよいよ限界が近いのだと下唇を噛んだ。
そもそも、絶対的に数が違い過ぎたんだ。東の大国と小さな北国の僕らとでは、兵力も武器も食料も。彼らに取ってみれば、僕らの抵抗など大型の獣が小さな鼠に噛み付かれた程度のものでしかないんだろう。
それでも、地形の利と冬の厳しい気候の手を借りて何とか凌いではいる。けれど、それも時と共に徐々に効力を失っていく。
やはり、どう考えたところでこちらの不利をひっくり返す手など無い。

「せめて、もう少し手勢と物資があれば・・・・」

そう呟いてみても、空からそんなものが降ってくる筈も無いのは分かっているけれど。
パチン。
再び薪が爆ぜる音がする。
そう言えば、さっき僕は夢を見ていた気がする。暖かな部屋の中、暖炉の火が燃えるのを黙ったまま見つめている。そんな何気ない日常の一部を切り取ったような静かな夢。
そうだ、暖炉の火を見つめる僕の隣には。

「あの人が・・・・いたんだ・・・・」

何も言わずに暖炉を見つめる僕の横で、彼も静かに本のページを捲っていた。
でも、そこにたとえ会話が無くても僕達は穏やかだと思ってた。その時、確かに幸せだと。そう、思っていた。
それなのに、今目の前で爆ぜた焚き火は。あの穏やかな時間を刻んだ暖炉の火と比べれば、何て虚しく燃え上がるんだろう。
本当は、もう戦う事なんてしたくない。自分自身が傷付くのも、自分の愛する民が傷付くのも、本当はもう嫌なんだ。
無残に撃ち抜かれた自国や敵国の兵士達から命の色が溢れ出し、冷たく凍った雪の上に散る光景。そしてその上を踏み荒らしながら、また新たな命を散らしていく光景。
純白である筈の雪が、どす黒く汚れていく光景を、もう見たくは無い。
僕達はただ、森と湖に囲まれたこの故郷で、小さな幸せを抱きながら静かに暮らしたいだけなんだ。そう、願わくば愛する人の一番近くで。
じわりと視界が滲んだような気がして、慌てて目元を擦った。
いけない。こんな所で国の要たる僕が泣いたりしたら、必死で戦ってくれている兵士達の士気に関わるし、何より申し訳なくて情けない。僕が弱気になってるなんて、誰にも気付かれちゃいけないんだ。
もう一度目元を強く擦る。誰も気付いていないよね。
ふと見れば、僕の着る軍服もあちこち擦り切れてボロボロ。まるで浮浪者のようだ。絶対的に物資の足りない現状では、新しい衣服の支給も出来ないから仕方無いけれど。
自分を誤魔化すようにして、僕は懐中時計を引っ張り出した。冬のこの時期は、太陽がほんの僅かしか顔を見せないから時計を確認しなきゃ今が昼なのか夜なのか分かったものじゃない。
文字盤の針は、今が夜明け前である事を教えてくれた。多分、あと3時間もすればそのほんの僅かな光が差してくるだろう。そうなれば、相手は必ず攻撃をしかけてくる。
どうしよう、この状態じゃまともな反撃も出来ない。ゲリラ戦をしかけようにも、人手が足りなさ過ぎる。無意識に噛み締めた奥歯が、ぎりりと軋んだ。

「フィンランドさん!」

突然かけられた声に、思考に沈んでいた僕の意識が引き戻される。何事かと顔を上げると、伝令役の若い兵士が慌てて走り寄ってきた。よっぽど急いでたのか、彼の息は大いに乱れている。

「どうしたの!?」

何か不測の事態でも起こったんだろうか。僕にも、そして見張りに立つ兵士達にも思わず緊張が走り空気が張り詰める。
ところが、伝令は戸惑いの中に僅かな喜びを含んだような上ずった声で驚くべき事を告げた。

「援助が・・・スウェーデンから人員と物資の援助が今・・・・!」

僕は、自分の耳が何を聞いたのか。一瞬理解出来ずに立ち上がった勢いのまま言葉を失う。
援助?スウェーデンから?
何を言っているの、そんなものはとっくの昔に断られた筈なのに。

「とにかく、とにかく司令部まで来てください!」

何も言わない僕に、伝令は焦れたような声音で叫ぶ。周りの兵士達も一様に驚きを隠せていない。
何が何だか分からないまま伝令に引っ張られるような形で司令部へ向かった僕の目に、たくさんの兵士と荷物の山が飛び込んできた。これは、一体何?

「フィンランドさん、ですね」

雪避けのマントと帽子を目深に被り、同じ姿の数名の部下らしき者を背後に従える指揮官らしい人物が、呆けたままの僕に尋ねる。未だに事態を飲み込めずにただ小さく頷くと、彼は微笑みを浮かべて一つの包みを差し出した。

「これは、直接貴方に渡すようにとスウェーデンさんから預かりました」

「スーさん・・・・が・・・?本当に・・・?」

受けとったそれは思ったよりも軽い。ガサリと音を立てる包み紙の下は、恐らく布地の何かだろう。
困惑しながら包みと相手の顔を見比べる僕に、彼は表情を正して敬礼する。それに倣い、後ろに控える兵士達も同じく敬礼を寄越した。

「我々は中立の立場故、表立った支援は出来ません。ですが、彼らは元を正せば貴方の民。もう一つの祖国を救うべく、義勇軍として参りました。多くはありませんが、弾薬と食料、その他物資も持参しております。どうか、これらを貴方の元でお役立て下さい」

「けど・・・」

「スウェーデンさんには許可を頂いております。いえ、本心ではこれがあの方の望みなのです」

あぁ、どうしよう。今度こそ本当に泣きそうだ。
支援を断られた時には、正直見捨てられた気分もあったのに。時代の流れとは言え、彼の元を去ってしまった僕を恨んでいるのかと、絶望にも似た思いで胸が張り裂けそうだったのに。

「あ・・・・・ありがとう・・・ございます・・・っ・・・・」

どうにか声を絞り出した僕に、彼は強く頷く。そして率いて来た部隊を振り返り、最後の指示を出した。

「お前達はこれよりフィンランド軍の指揮下に入り、彼らと共に死力を尽くせ!」

「はっ!」

手の中の包みが、再びガサリと音を立てる。人員と物資の分配を一先ず任せ、僕はその包みを静かに開いた。
中に入っていたのは、薄青色の少し型の古い軍服と十字のペンダント。
そうだ、覚えてる。
これは確か、スーさんが少し前に新調したけれど出来上がってみればサイズが合わなかった物だ。仕方ないとクローゼットの奥に仕舞い込んだのは僕だった。
震える手でそれを広げ、自分の体に当ててみる。丈はぴったり。もしかして、スーさんが手直ししてくれたんだろうか。昔僕に自分の服を直してくれた時のように。
幅が少しだけ広いのは、多分時間が足りなかったからなんだろう。包みの中には、申し訳無さそうにベルトが一本入っていた。
そして、そのベルトの下に隠れるように入っていた一枚のカード。

『フィン』

見慣れた文字で、ただそれだけが書かれていた。

「スー・・・・っ、さ・・・・!」

ダメだ、もう止められない。
スーさん、貴方はこの後に何と続けようとしたんですか。僕には分からないけれど、でもそれで良いような気もするんです。

「・・・・それでは、我々はこれで引き上げます。どうか、貴方とその民に神のご加護がありますよう」

情けなくポロポロと涙を流す僕に、彼はそう告げる。言葉も無く頷いた僕の側を、彼とその後に続く数人の部下がすり抜けて行った。
と、思っていたら。

「・・・・・!?」

その最後尾にいた背の高い男が僕の体を力強く包み込み、耳元で低く囁く。
固まったままの僕がその意味を理解し振り返った時には、彼らの姿は既に遠く、その背中を吹雪き始めた雪が白く覆っていた。
どうしよう。どうしよう。
涙腺が壊れたみたいに、涙が止まらない。このままじゃ睫も瞼も凍り付いてしまう。分かっているけど、止める事が出来ない。
どうして貴方はこんなにも。

「待ってて下さい!」

気付けば、僕は声の限り叫んでいた。腕の中の軍服とベルトとカードを思い切り掻き抱きながら。

「待ってて下さい!必ず、必ず僕は・・・・あの場所に帰りますから!一つの国として立派に独り立ちして、絶対に貴方の側に帰りますから!!だから、そこで待っていて下さい!!」

喉に雪が飛び込み噎せそうになったけど、それでも構わず叫ぶ。凍りかけた涙で霞んだ視界の中、遠く誰かが手を振っていたような気がした。

「フィンランドさん・・・・」

息を切らして肩を震わせる僕に、一人が恐る恐ると言ったように声をかける。くっ付きかけていた瞼を袖口で無理矢理に拭い振り向くと、心配そうにこちらを見ていた皆も少しだけ安堵したように息を吐いた。

「ゴメン、もう大丈夫」

そう、もう大丈夫だ。
圧倒的不利は相変わらずだし、もちろん戦況が覆った訳でもないけど。それでも何故か、さっきまでの不安は僕の中から一掃されていた。我ながら現金だと、そっと苦笑を洩らす。

『生きて帰れ』

さっきの囁きが、頭の奥で繰り返し響く。
とりあえず僕は、軍服を着替える為にテントの中へと入った。



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