「ギリシャさん?どちらにおいでですか?」

 呼んでも返る声は無く。
 先刻までいた筈の部屋にも無いその姿を探して、一人で住むには広いその屋敷内を日本はきょろきょろと視線を彷徨わせながら歩いていた。
 突然遊びに来たギリシャが、それでも二人揃って何かをする訳でもなく日本語の勉強と称して昔からこの国に伝わる御伽噺を子供向けに分かりやすく記した絵本を読み耽っていた姿を確認したのが約1時間程前。お昼過ぎの急すぎる来訪者の為に中断されていた家事をこなす為に日本が席を外したその間に彼の姿は忽然と消え去り、おかげで屋敷中を探し回る羽目になってしまった。
 とりあえず、部屋と言う部屋全てを見て回ったが、求める姿を見つける事は出来ない。まさか浴室になどいる筈も無く(大体が入浴の準備などしていなかった)ましてや憚りに一時間近く篭る訳も無いのだから、これはいよいよお手上げだ。
 と、不意にニャァと小さく鳴く声が聞こえる。
 まさか、と思い付き向かった先。縁側の中程に果たして声の主と探していた姿を見付けた。この場所は、家に忍び込む猫達と彼のお気に入りの場所になっていたのだと思い出す。
 大きな体をゴロリと横たえ、傍らに子猫達を携えたギリシャは深い眠りの中にあった。だが、夏の昼下がりならいざ知らず秋の深まり始めたこの頃では、こんな所で無防備に寝ていては風邪を引きかねない。
 心地好さそうなその寝顔を邪魔する事は偲びないが、それよりも大事なのは彼の体。せめて昼寝をするのなら部屋の中で、と日本はギリシャの横にしゃがみ込みその肩を揺すった。


「ギリシャさん、ギリシャさん起きてください。風邪を引きますよ?」


 日本にしては強めに揺らしたものの、彼が起きる気配は無く逆にむずがりながら体を丸める様に向こうを向いてしまう。
 何度か揺らしてみてもついに目を覚ますことは無く、呆れた日本はそれでも余程心地好いのだろうとそっと苦笑を浮かべた。
 とは言え彼をこのままにして風邪を引かせては流石に申し訳無い。日本は少し思案した後、一度寝室に戻り夏用の薄い肌掛けを持ってきた。今の時間なら、これだけでも十分だろう。
 ただ惜しむらくは、自分のサイズに合わせて作られたそれが体の大きなギリシャに掛けるには小さ過ぎた事か。それでも、無いよりは随分ましだ。
 持ってきた肌掛けをその体の上にふわりと広げる。と、その下からもぞもぞと黒い毛並みの子猫が這い出てきた。どうやら、この子の昼寝の時間は終わったらしい。
 縁側に座りそっとその頭を撫でると、先程聞いたのと同じ声でニャアと鳴いた。


「気持ちのいい午後ですね」


 頬に当る風が涼しくて、日本も思わず目を細めた。
 その呟きに答えるように、向こうを向いていたギリシャの体が再び仰向けに戻る。寝返りを打った事でずれてしまった肌掛けを直し、さっき子猫にしたように彼の頭を撫でてやる。気持ち良さそうにその頬が緩んだ。
 穏やかな寝顔を見つめながら、今は閉じられているその瞳を思う。深いオリーブグリーンを湛えたそれは、のんびりとした彼の性格に相応しく温かでありながらとても強く真摯である事を日本は知っている。
 長く重く積み重ねられた歴史の上に立つ、穏やかで若く力強いギリシャと言う存在が彼はとても好きだった。多くの傷と罪を負った自分を好きだと、遠く離れた地から真剣に伝えてくれるギリシャの存在がどんなにか心強くそして安らぎだっただろうか。
 もう一度彼の頭を撫でると、自分もと強請るように黒い子猫が体を擦り付けてくる。一緒にゆっくり撫でてやり、この一人と一匹を見比べる。


「そっくりですねぇ・・・」


 ホロリ、と笑みが零れた。
 欧州人らしい彼の臆面の無い愛情表現にはまだ慣れないけれど、眠りの中にある彼になら少し素直に気持ちを伝えられるかもしれない。
 少し体を傾け、今は閉じているギリシャの瞼の奥にあるオリーブグリーンをまっすぐに見つめて数秒思い悩んだ台詞が日本の唇を響かせた。


「ギリシャさん」


「私はどうやら、自分で思う以上に」


「貴方が」


 ニャア、と再び子猫が鳴く。ドキリと跳ねた心臓を落ち着かせる為に深く息を吸う。


「好き、です」


 一気に日本の頬へと熱が上った。
 我ながら似合わない事をした、と気恥ずかしさを隠すように少しずつ高くなり始めた秋の空を見上げる。色付きかけた木の葉がひらりと舞い落ちた。


 眠っている筈のギリシャの口元が、僅かに笑みを形作った事は傍らの子猫だけが知っている話。



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