この血を吐くような想いも永遠よりも永い刹那も、何もかもを全てこの手で壊してしまえたのなら俺はきっと何も怖れる事は無いのだろう。





甘い香りの充満する部屋の入口からノックの音を聞いた。けれども俺は立つことも返事を返すこともせずにただぼんやりと天井を見つめる。
中国製の小さな香炉から立ち上る紫煙がゆらゆらと目の前を通り過ぎ、それを追うように手を伸ばせばフワリと拡散してこの手に残り香を移した。どうしてもそれを手にしたくて何度も何度も掴むけれど、煙はその名の通りにかき消されるだけで。この手は何も掴めないのだと、どこかで誰かが囁いた。
再びノックの音がする。それは頭にガンガンと響くから、どうかやめて欲しい。ノックが止んで暫くして、ドアノブをガチャガチャと動かす音が聞こえてくる。鍵はコインさえあれば開くような簡単なシリンダー。俺がこの部屋に一人で閉じ篭れないように、誰かが付替えた。・・・・あぁ、あれは誰だっけ・・・・。
ガチャリ、と一際大きく響いてドアが開いた。差し込む逆光で進入者の顔が見えない。ただ思い切り顔を顰め、そして盛大な溜息を吐いた事だけは分かった。柔らかく仕立てられた毛足の長い絨毯に足音を吸い取られながら近寄るその人物が、誰だか分からない。思考が沈んでいく。何も考えられない。黄昏に溶けるように、暗闇に落ちるように、俺の手で掻き消された煙のように意識が霧散しそうになる。


「アーサー」


落ちていく俺の意識を無理矢理浮上させるような声が部屋の空気を震わせた。


「君、またやったのかい?」


ジュッ、と短い消失音が聞こえた。それを境に、漂う紫煙も消え失せる。その人物は香炉に水をかけ、閉じられたばかりのドアと閉め切っていた窓を開け放して煙も香りも押し流してしまった。
あぁ、どうして邪魔をする?俺はこのまま落ちていたかったのに。なぁ、お前は誰?


「しっかりしなよ。アーサー?聞こえてるかい?」


痛いくらいに頬を叩かれ、ぼやけた視界の焦点が少しずつ合い始める。俺を覗き込むスカイブルーは、この国には珍しい澄み切った青空を映し出していた。その中に浮かぶ俺は、その純粋な透明度になんと似つかわしくない事だろう。この色を、俺は知っている。覚えている。体を貫くように降り頻る雨の中であってもなお、俺を真っ直ぐに見据えていた強い光。そう、何も変わらない。

あぁ、そうか。お前は。


「アル・・・・アルフレッド・・・・・」


愛しい弟。俺の。誰よりも愛しい人。愛していたのに。愛しているのに・・・・?


「アル・・・・・アルお前・・・何処だよ・・何処行ってたんだよ・・・・・」


『あの日』からずっと探していたのに、お前は何処にもいなくて。探して探して探し続けて、それでも何処にもお前がいなかったんだ。何だか疲れたんだよ、俺はもう。あの日から俺は・・・・あぁでも、『あの日』っていつだっけ・・・?


「アーサー・・・・・」


「なぁ、もう・・・・何処も、行くなよ・・・?俺の傍にいろ・・・ちゃんと愛してやるから・・・・な・・?一人にするなよ・・・・」


強く抱き締められた。すぐ近くにアルの金色がフワフワと揺れるけど、あの煙のように俺の手が触れて消えてしまうのが嫌だったから、手は伸ばさなかった。でも、暖かいような気がするから、俺はそれでいいんだと思う。アルフレッドがここにいる。これからも、今まで通りちゃんと愛してやるんだ。


「・・・・君は、酷い奴だ」


アルフレッド。俺のアルフレッド。誰よりも愛しい、俺の弟。
お前を。


「俺を見ないくせに」


「愛してる・・・・アルフレッド・・・・・」


「嘘を吐くなんて」


「アル・・・・」


「君は、悪い子だ」


アルが、返事をしてくれない。抱き締めてくれるのに、愛してるって何度も言ってあげているのに。
いつもみたいに、「俺も大好きだぞ」って。そう言ってくれよ、アル。


「悪い子だね、アーサー」


ボフン、と空気の弾ける音がして、俺はベッドに仰向けになった。目の前にはアルがいて、その綺麗な空の色で俺を見ているのに変に歪んでいるような気がして。それは段々と近づいているような気がして。
でも、返事は返してくれない。


「悪い子には、ちゃんと罰を与えなきゃいけないよね?」


それが少しだけ悲しくて、俺は首を傾げた。




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