『毎年のお互いの誕生日にはこうやって二人でお祝いしませんか』


そんな遠い約束がふと思い出されたのは、傍らにあるカレンダーの日付が目に付いたからだった。
12月6日。
この日は祖国の独立記念日であり、国という存在そのものの自分にとっては誕生日として祝う日。
今まで幾つもの国の属国として過ごしてきた僕は、今から20年程前にようやく本当の誕生日が決まったばかりだった。だから、それまではスーさんの誕生日を祝うばかりで自分が祝ってもらった事は無い。それなのに、ようやく決まった誕生日を二人で祝うと言う約束も、世界情勢が許してくれなかった。
何より、その時にはすでにあの人から引き離されてロシア属の扱いを受けていたし、ロシア革命に乗じて独立したものの世界大戦の真っ只中だったので軽々しく会いに行ける筈も来てくれる筈も無い。あれよあれよという内に第二次世界大戦が始まり、冬戦争が始まり、そして今に至る。毎日のように銃声が響き、怒号が走り、幾つもの命が鮮血を散らして消える。そんな中では、独立記念はともかく自分の誕生日など気にしている余裕も無いし、戦乱の中での誕生祝いなど、あの穏やかだった時と比べれば何て似つかわしくない光景だろう。それくらいならば、まだそんな事をしない方がマシだと思う。
そう思うけど。


「スーさん・・・・・覚えてるかなぁ・・・・・」


遠い日の約束。未だ果たせない約束。初めて貴方の誕生日を祝ってあげられたのは、果たして何年前だっただろうか。自分だけ祝ってもらうのは申し訳無いと、同じ日に無理矢理僕の誕生日も祝ってくれたスーさん。


『この先僕の誕生日が決まる時が来たら、毎年のお互いの誕生日にはこうやって二人でお祝しませんか』


と、恐る恐る提案した僕に「ん」と短く頷いて。それから珍しく笑って見せてくれた貴方の顔を、今でも良く覚えてる。
思い出は僕自身が驚く程に多くて、そして鮮明で、一つを思い出せば次から次へと溢れていく。大きい事も小さい事も、全てが大切で幸せだった。あの日々はもう帰らないと言うのに、それでも懐かしく恋しい。
そう言えば、離れ離れになっても毎年贈り続けたスーさんへのプレゼントは、幾つくらいが無事彼の手に渡っただろう。
ちょうど半年前に贈った今年のプレゼントは、忙しい合間を縫ってどうにか編み上げたニットのストール。これから夏に向かうと言うのにそれを贈ったのは、冬に使う物の方が長く傍に置いていてくれるような気がしたから。けど、それも届いたかどうか。
スーさんの上司は完全中立の立場を正式に表明したらしいから、もしも僕からの贈り物だと知れたら確実に破棄されていると思う。それどころか、僕と内密に通じているなんて事になったらスーさん自身が咎められるかもしれない。それくらいならば、むしろ届いてくれていない方が断然良い。でも、会えなんだからせめてプレゼントだけでもなんて未練たらしい事を思っていたりもした。どちらにせよ、僕にはそれを確かめる術なんて無いけれど。
壁に掛かる時計は、もうすぐ22時を指すところだ。あと二時間もすれば、僕の誕生日は終わってしまう。


「・・・・会いたい・・・・な・・・・・」


叶わない願いが、無意識に唇を震わせる。窓の外では絶える事無く雪が降り頻り、一人佇むこの部屋が余計に薄ら寒く感じて、零れ落ちる名前は止まらない。


「スーさん・・・・・」


返事なんて、ある訳ない。分かっているし、仕方ない。


「スーさん・・・スーさん、スーさぁん・・・・・」


仕方無いって、思っていた。

・・・・・思って、いた。


「・・・んだなに呼ばんでも、ちゃんと聞こえどる」


返ってくる筈の無い返事が、懐かしい声で部屋に響いた。
一瞬固まった頭と身体を無理矢理動かして、ゆっくり振り向いた先。懐かしくも見慣れた長身が、そこにはあった。


「・・・え・・・・?」


これは、幻聴?幻覚?
だって、貴方がここにいる筈無い。ここから遠く離れた自国で、世界の動向を見守っている筈だもの。自国の平和の為に、上司共々執務に励んでいる筈だもの。こんな所に、僕の部屋にいる筈無い。
グルグルと混乱する思考回路で、それでも僕は無意識に手を伸ばす。幻覚なら、幻聴なら、今目の前にいる貴方は空に掻き消える。そうなる筈だったのに。指先に触れた、外套の生地の感触とそこから感じる僅かな温もりが、僕を余計に混乱させた。


「な・・・・?何・・・で・・・・何でここに・・・・」


「約束したかんな」


誕生日、と相変わらず読めない表情で言い放つ彼が本物なのだとようやく認識したと同時に、混乱から覚めた思考回路には様々な疑問が駆け巡るのに何も言う事が出来ない。どうやってここに来たのか、こんな所を見つかればどうなるか分かってるのか、問い質したくても言葉が出てこない。ただ、目の前にいる彼に戸惑うだけで。金魚のように口をパクパクと開閉させるだけの僕は、端から見たらきっと滑稽な事この上ないだろう。


「ティノ」


耳元で低く囁かれた自分の名前に、ビクリと肩が跳ねる。久しぶりに呼ばれた「人間としての名前」の真意も掴めず、言いたい事もたくさんあるのに黙りこくってしまった僕を、スーさんは射抜いてきそうなほど真摯な目で見つめてきた。別れたあの日から何も変わらない、とても鮮やかなエメラルドグリーン。それがあまりにも懐かしすぎて、涙を誘うには十分だった。


「自分の女房の誕生日さ祝いに来たっけ、誰にも文句言われる筋合い無かんべ」


「っ・・・・・・!」


あぁ、なんてずるい人なんだろう。僕の疑問も心配も、何もかも一言で打ち消してしまうなんて。
貴方は、国として独立した僕の記念日を祝いに来た訳じゃない。と、そう言うんですか。「スウェーデン」という一つの国ではなく、「ベールヴァルド・オキセンスシェルナ」という一人の人間として、僕の「誕生日」を。


「ベール・・・・ヴァルド、さん・・・・っ・・」


「ん・・・・・誕生日、おめでとさん」


頬を濡らしている涙も指先で拭われて震えてる肩を抱き締められたら、もう何も考える事は出来ずに、ただ目の前にある温もりに縋り付いた。
会いたかった。ただ、貴方に会いたかった。
唇に乗らない言葉は、果たして貴方に届いただろうか。










「・・・・傷、随分増えてんな」


熱を帯びて紅潮した肌を掌で撫でながら、ポツリと呟く。離れていたその分だけ、彼には見覚えの無い傷痕が多くあるのは仕方の無い事だろう。


「しょうがないです、戦争ですから・・・・・嫌ですか?」


「いんや・・・ほんじぇもおめは綺麗だかんない」


「・・・何言ってるんですか・・・・」


貴方の方が綺麗です、そう言いかけて、照れ隠しにもならない事に気づいて止めた。









朝の日がカーテンの隙間から差し込み、眩しさで思わず瞼が震える。寒さが和らいでいるから、結構遅い時間なのかもしれない。時計を探そうと見回した部屋には、思った通りあの人の姿は無かった。
それでも、彼が確かにここに居た痕跡は残ってる。それは傍らに置かれていたガラス製の小さなオルゴールだったり、この身体に残る心地良い気だるさと温もりだったり。夢現の中、帰り支度をする彼に見覚えのあるニットの模様を見つけた事も、ちゃんと覚えている。
現在朝の9時半。今日は確か作戦会議の予定だから、もう少ししたら担当の兵士が呼びに来るかもしれない。それまでには、普段の僕に戻っておかなくちゃ。
カーテンを開ける。太陽に解かされ始めて煌めきを増した雪の白さが眩しすぎて寝起きの目に痛い。
今日もどれだけの血が流れ、命が散り、この大地が震えるんだろう。それはいつまで続くんだろう。


「それでもね、スーさん」


どんなに血が流れるとしても、命が散ったとしても。


僕は今、確かに。


「幸せ、だと」


そう、思っているんです。


開いたオルゴールからは、懐かしい日々の音色が溢れ出してきて、それは少し哀しくて。
机の引出しに仕舞ったと同時に、扉をノックする音が聞こえた。短く返事を返すと、若い兵士がドアを開けて敬礼する。


「間もなく会議のお時間です。お急ぎ下さい」


「分かった、ありがとう」


そう答えて笑う僕は、きっと冷たい目をしていると思う。それでいい。
部屋を出る時、擦れ違った彼から漂ってきた硝煙の匂いに、僕は少しだけ顔を顰めた。




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